カラフルなグレーの短編日記

野生のアスペが人間社会で生きたくなったら

双子の魂と、それぞれの信条②

 ~双子の魂と、それぞれの信条①のつづき~

双子の魂と、それぞれの信条① - カラフルなグレーの短編日記

 

 

どうして昔の自分を見ているようなのか?

 

何歳か年上だし、才能を生かして社会適応している優秀な人なのに。何故そんな風に感じるのか、不思議だった。

 

人柄はとても誠実でチャーミング。

社会通念意識が高い一方で、常識に囚われなさ過ぎて浮いていたりするけれど、協調性を強制される仕事ではなく、能力も高いので、適度に自由にしていられる。

 

暫く間近にいて、ふと思ったこと。人を信じていない?

礼儀正しくて、コミュニケーションも取れる、それなりに振舞っているけど、他者が不在?

 

その人に限らず、普通に馴染めないと、多かれ少なかれ人間関係で大変なことがあると思う。(普通の人もそうだけど)

その過程で、周りの全てが敵に見えたり、身近な人が失望して離れていくのを何度も経験したり、根本的に分かりあえないことに絶望感を持ったり。

 

先に私の話をさせてもらうと、

実家の家庭環境が込み入っていた時期があり、コンプレックスも多々あるので、学生時代には「人を信用する」という概念が無くなっていた。

今でもそういう面はあって、無意識を放置すると、人をネガティブに捕らえて軽視してしまいがち。その傾向が出ていないか、時々掘り下げてみる必要がある。(結果、迷宮入りしたりする)

 

大人になって、それなりに社会対応を学んでくると、周りの人は悪い人ばかりではなくて、寧ろ殆どは善良なごく普通の人達だと気が付く。

20代の若い女性が、withとかMOREあたりの抑え目なミーハーOL的な格好で(愛読してない。イメージとして。派遣でオフィスカジュアルがメイン)、明るく礼儀正しくしていれば、多少おかしくても好意的に受け入れられることが多い。

頼りなく見えるのか、色々な場面で人が助けてくれた。

優しいばかりじゃなくて、間違っていることを教えてくれたり。

 

そうすると、人間関係を築けないのは、自分の対応に問題があるかもしれないことに、改めて思い至る。

そこからも試行錯誤は続くけど、普通の人の感覚が分からないなりに、こちらから少し心を開いたり、思いやることで、何かが通うことが増えた気がする。(具体的には、適度な情報開示や、相手の自尊心を下げる為の行為ではないことと、その理由を言葉でちゃんと伝えるのが一つ。

「おかえりなさい。悪いけど、今ブログ書いてるから、無視集中していい?」相手を無駄に不安にさせないように声を掛ける行為が、既に心遣い。普通の事でも、職場だと特に難しい。過剰な気遣いになっても疲れるし)

ただ、元々人への関心が薄いことや、仕事中は目の前のことにしか構えないこと、体調で極端にブレてしまうことで、常に継続するのは未だに難しくて、不快な思いをさせてしまうことはある。

それでも、基本的に(全面的にではない)人が信じられる前提に立ってから、見えたものは大きくて、一歩前に進めた気がした。

(この頃には、発達障がい+生育暦×二次障害が、発達障がい単体になってきた。幼少期は幸せな時間で始まったので、自己肯定感がそこそこあって、浮いていることは気にならず、むしろ周りがおかしいくらいに思っている嫌な奴だった。今でも性格は悪い。自尊心は長い間、地に落ちていた。)

 

双子の話に戻ると、

その人は自力で何でも出来たので、人間関係で受けるネガティブなものが、ポジティブなものより圧倒的に大きかったのかもしれない。その人は度々、諦めたと言っていた。

 諦めと他者の不在感は、どこで繋がっているんだろう?

一本の釣糸に繋いで、深海に放ったら、どちらが深くて、どの辺の深度で結び付いているんだろう?

2年以上の付き合いの中で、その人がどれ位の絶望や経験を経て出した答えで、今の姿勢がどこまで自覚的なのか、結局最後まで理解できなかった。

突出した才能が、仕事、プライベート共に、必要以上に人を引き付けて、強烈なハートブレイクをいくつか経験した時期があったらしい。衝撃の深さは他人の想像の範疇にない。平時に受け続ける負の影響なんて、存在すら知られない。 

他のタレンテッド(ギフテッドのアーティストVer.)や、ギフテッド並みに優秀な定型発達の人によると、一方的に期待され、嫉妬され、敵視され、試されて、うんざりするのが常だと言う。目立つと面倒くさいと。そして、同じ実力とスピード感で話せる仲間が、身近に少なく、理解者がいない。凹も凸も、平均を超えると大変みたい。

 

要因は、ここに書かないことも含めて、複数あるけど、不器用で、良くも悪くも注目されるその人は、ごく普通の関係性を望んでも、叶わなかったみたいだった。 

どんな方法で望んだのか?

その辺りに、昔の自分を見ていると感じた理由がある気がした。

感情のある他者の存在が見えない、自由なようで自由じゃなかった頃の雰囲気。(今も基本はそう。意識すると、少しだけ垣間見える 。全部思い込みの可能性もある)

実際のところは本人にしか分からない。

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「ごく普通の関係」、例えば社会的立場から自由な女の子同士のような関係に憧れたとして、それは「何もない自分を受け入れてもらう理想」とイコールではない。二つを同時に体現しようとする、信念を持った試みの最中だったのかもしれない。